相談者
この世には、「俺のプライドが許さん」と言って、
自分のプライドを守るために、
他人を平気で殴ったり、
傷つける人がいます。
どうしてそんな人がいるんですか?
それは、 仏教的にも心理学的にも「本当の強さ」ではなく、 未熟な心が作り出す、 強さの偽りだからです。 つまり、 弱虫が象徴する発言です。
心理的な理由
1.自己肯定感が低く自信を持てていないから。
本当に自信がある人は、
少々の侮辱や意見の違いで動揺しません。
逆に、
自分に自信がなく弱い人ほど、
「プライド」という仮面や化粧で自分を守ろうとします。
弱さを隠すために、
金のブレスレットなどの装飾品や、
自分を大きく見せるため、
いきがった服装や
横柄な態度で、
自分の弱さを隠します。
つまり、
自分の都合で「プライド」という言葉を使う人は弱虫の証です。
2.自分を正当化するための怒り、つまり言い訳にしているから。
「俺のプライドが許さん」という言葉は、
他人を認めることや赦すことができない、
小さな弱い心を正当化するために怒り、
自分は悪くない。
自分は正しいんだと、
言い訳をしています。
3.支配欲と恐怖心から
思考力が低いため、
相手を攻撃することで、
「自分が上だ」と示してくる。
自信を持てないため、
「プライド」という言葉で、
不安や恐怖を消そうとします。
つまり、
弱い犬ほどよく吠えるということです。
仏教的な視点では
我執(がしゅう)
自己中心的な人は、
「自分が自分が」という
自分への執着が強すぎるため、
小さな出来事でも、
「傷つけられた」という妄想が膨らみ、
復讐心が生まれます。
苦の原因になります。
慢(まん)
自分を他より高く見せたい心のことです。
「俺を軽く見るな」
「下に見るな」
という怒りの根源です。
苦の原因になります。
無明(むみょう)
自分も他人も本質的には、
同じ命であること、
同じ感情を持つ人間であることを知らない心。
だから、
平気で傷つけられる。
因果応報で自分に返ってきます。
本当の強さとの違い
成熟した強さは、
感情をコントロールし、
相手を傷つけず、
自分の立場や意見を守れる。
沈黙と笑顔でかわすこともできる強さ。
逆に弱さは、
殴る・怒鳴ることで「強い自分」を演出すること。
長期的に考えることができず、
信頼や人望を失う。
仏教の教えでは
怒りは修羅の地獄。
恐れは畜生の地獄。
つまり、
怒り恐れる人は、
人間界の下の界に位置する、
修羅地獄、畜生地獄に居るということ。
プライドの使い方は、
「自分の人格を守る」ことであって、
「自分の面子やその場の面子を守る」
ことではありません。
相談者
そもそもプライドとは何のことですか?
プライドというのは、
もともと英語の pride(誇り)ですが、
日本語で使われるときは少し幅広い意味を持ちます。
どうしてプライドという言葉を言いたがるのですか
人が「プライド」という言葉を言いたがる背景には、
心理的な理由があります。
プライドの本来の意味は、
自分軸を持ち合わせ、
性根を据えて、
自分の価値や信念を大切にする。
そして、
それを守ろうとする気持ち。
例えば、
誇りを持った仕事をする。
誇りを持った立ち振る舞いをする。
自分に非があれば、
認めて謝罪ができる。
歳に関係なく相手を尊重し敬意を払う。
謙虚で腰が低い状態で、
威風堂々とどんと構える。
「プライド」と言いたがる人は
自分を大きく見せ、
他者より優れていると思われたい。
虚栄心、傲慢な振る舞いをする。
たとえば、
「俺を誰だと思ってるんだ」という態度。
仏教では
このような態度を慢(まん)と呼び戒めます。
なぜ「プライド」という言葉を言いたがるのか
カッコよく聞こえるから。
自分の意見がなく、
テレビや映画の影響。
本来ならば、
「意地」や「面子」と言うところを、
横文字のほうが知的で正当な理由に聞こえるから。
そして、
怒りや攻撃の正当化するため。
「自分の感情に任せて怒った」ではなく、
「大事なプライドを守った」と言えば、
自分を悪く感じずにすむから。
弱さや不安を隠すため、
劣等感があり、
それらを隠すために強い言葉を使う。
強い言葉は、時に、弱く見えるもの。
周囲へのアピールするため。
「俺は信念を持っている人間だ」という印象を与えたいから。
仏教的に見るプライド
本来のプライドや誇りは、
「自分の人格を損なわないこと」。
たとえ相手に侮辱されても、
脅しのために、
嘘や暴力を使わないことが本当のプライド。
しかし、
多くの場合、
「プライド」は「自分の面子、優位性を守ること」にすり替わっています。
これを仏教では我執といい、
苦しみの原因とみなします。
最後に
プライドは本来、内面的な「誇り」。
多くの場合は「面子・虚栄心」のことを指している。
「プライド」という言葉を使うのは、
怒りや弱さをカッコよく包装するため。
強い言葉を使えば使うほど、周りからは弱く見えるもの。
逆に、
冷静沈着、腰が低い人ほど、周りからは強く見えるもの。
プライド判断チェック
「健康なプライド」と「有害なプライド」を見分けるチェックリストを作って、
自分や他人の行動を客観的に判断できるようにできます。
そうすると、相手が“本物の誇り”で動いているのか、“虚栄心”で動いているのかがすぐ分かります。
優良プライド判断チェック
あなたの優良プライド判断チェックをしてみましょう!
イエスなら優良プライドです。
自分の行動や選択が、
他人を傷つけていない?
たとえ侮辱されても冷静沈着を保てている?
周りの評価より、
自分の内面的な価値基準・自分軸で行動している?
間違いを指摘されたら、
素直に修正できる柔軟性がある?
成功や立場より、
人間として自分のとしての品位品格を優先している?
有害なプライド判断チェック
次はあなたの有害なプライド(虚栄心・面子)チェックをしてみましょう。
イエスなら有害なプライドです。
相手を黙らせる、
屈服させるために行動している?
思い通りにならないと、
感情的に爆発する?
周囲の評価や見栄のために
行動している?
自分の非を絶対に認めず、
責任を転嫁している?
自分の立場や面子を守るために、
虚栄し嘘や暴力を使う?
結果として、
信頼や人間関係を壊している?
最後にまとめ
優良なプライドは、
未来の自分を成長させる材料となり、
人格を磨く。
有害なプライドは、
「自分を大きく見せるための我執」
それば、
苦しみを生む原因。
簡単な見分け方
周囲からの信頼が増え仲間からの賞賛があるものは、
優良なプライドです。
周囲から人が離れる場合は、
有害なプライドです。
この判断チェックは、
自分自身のチェック表であり、
他人をチェックするものでもあります。
プライドは生き方
他人と比較してどう思うかなんて、
老いたときに、
どうでもよかったことだと気付くもの。
自分が幸せに思うものや好きなものやりたいこと。
そのために生きようと決めれば、
自然と自分の中に軸ができるもの、
自分軸は性根を育み、生き方になる。
人生はお金持ちになることや地位や名誉を得ることではなく、
自分の生き方である。
生まれた環境や境遇は、
自分では選ぶことはできない。
生まれた瞬間から、
他者とは差があるもの。
しかし、
生き方は自分で選んでいる。
お金や地位や名誉がなくても、
子供や若者たちから、
憧れ。
格好いい。
あなたのような大人になりたい。
と思われる生き方だったら、
それは、
あなたのプライドになる。
自分の生き方に満足することは最高の幸せだと