固い信念なんてものはかえって信用がおけんね。 だいたい戦争なんてものは、 固い信念を持った者同士が起こすんだからね。 という銀河英雄伝説のヤン・ウェンリーの名言があります。 僧侶はどう思いますか?

相談事例

相談者

固い信念なんてものはかえって信用がおけんね。
だいたい戦争なんてものは、
固い信念を持った者同士が起こすんだからね。
という銀河英雄伝説のヤン・ウェンリーの名言があります。
僧侶はどう思いますか?
この名言についてどう思いますか?
プライド、誇り、信念は、それが理由で戦争になるんじゃないですか?

僧侶
すごく本質を突いた質問ですね。
ヤン・ウェンリーの言葉と
「プライド・誇り・信念」の関係を整理してみましょう。

① ヤン・ウェンリーの名言の意味

固い信念なんてものはかえって信用がおけんね。
だいたい戦争なんてものは、
固い信念を持った者同士が起こすんだからね。

ここでヤンが言いたいのは、
「絶対に正しい」と思い込む信念は、
危険な武器になるということです。

「自分の信念=唯一の真理」だと思ったとき、
人は相手を理解する姿勢を失い、
対立が深まる。

結果として、
「信念 vs 信念」が衝突すると、
それが戦争や争いになる。

つまり、
信念が悪いのではなく、
「固すぎる信念=融通の利かない頑なさ」 が
危険だと言っているわけです。

③ プライド・誇り・信念と戦争の関係

たしかにこの3つは、
争いの原因にもなり得ます。

プライドは、
責任感もしくは意地です。
責任感として働けば、
人を守る力になる。

でも、
「負けられない意地」
「謝れない高慢」に
変われば対立を激化させる。

誇りは、
仲間や国の誇りは、
人を勇気づける力になる。

しかし、
「国の誇りを汚された」と考えると、
報復や戦争の理由になる。

信念は
「人を助けたい」という信念は、
平和を守る力になる。

けれど、
「自分の信念こそ唯一の正義だ」となれば、
他者を否定し、戦争の火種になる。

👉 共通するのは、

どれも心のエネルギーそのものは悪ではない。
問題はそれが、
柔軟か・頑なか
広い視野か・独善的か
で決まるのです。

④ 仏教的な視点

仏教では、
争いの根本は我、エゴにあると説きます。

「自分が正しい」
「自分の国が一番だ」
「自分の信念こそ絶対だ」

この「我」に執着すると、
プライドも誇りも信念も、
「戦争の理由」になってしまう。

反対に、
「相手もまた苦しみを抱えている」
「自分と同じように生きたいと願う存在だ」
「同じように家族がいて、愛する人や愛される人がいる」

という視点を持てば、
プライドや誇りや信念は、
「争いをやめる力」にもなります。

⑤ まとめ

ヤン・ウェンリーの言葉は、
「固すぎる信念は対立を生む」という警鐘。

プライド・誇り・信念は、
柔らかければ平和を守る力、
固すぎれば戦争の理由 になる。

仏教の立場から見れば、
執着、(我)を離れ、
柔軟に他者を理解する心があれば、
信念も誇りも調和の力になる。

💡 言い換えると、

信念は剣にも杖にもなる。
使い方を誤れば人を斬り、
正しく持てば人を支える。
ということです。

ここでお聞きしたいのですが、
あなたは「信念は強く持つべきだ」と思いますか?
それとも「柔らかく持つべきだ」と思いますか?

相談者

はい、
信念は、
人生で選択するうえで重要な要素になり、
生き方としても自分軸となるものです。
ただし、
自分が正しいと思う信念があるように、
他者にも自分が正しいと思う信念があることも、
忘れてはいけないと考えています。

僧侶
素晴らしいお考えです。
まさにその視点こそ、
「信念を正しく活かす智慧」だと思います。

信念が「自分軸」となる意味

信念は人生の中で、
「どう選択するか」
「どう生きるか」
の基準になります。

信念がある人は、
外部の評価や流行に振り回されにくく、
ぶれない生き方ができます。
これは、
「自分軸」を持つということ。
とても大切です。

しかし、
「他者にも信念がある」
という事実。

ここを忘れてしまうと、
「自分の信念こそ唯一の正しさ」
「相手の信念は間違っている」
という思い込みが生まれ、
対立や争いに繋がります。

つまり、
信念は自分側だけで見ると戦争の種になり、
相手側の信念を見ると平和の道になるのです。

仏教的な表現に置き換えると

仏教では、
「我執(がしゅう)」=自分だけの正しさに執着する心
「空(くう)」=すべての存在や考え方は関係性(縁)によって成り立つ
と説きます。

つまり、
自分の信念も縁によって成り立った、
それは、
一つの見方にすぎない。
と理解すれば、
相手の信念も尊重できるようになるでしょう。

この視点を持つことで、
信念は争いではなく調和と共生の力に変わります。

まとめ

信念は人生の「自分軸」を支える大切な要素。
ただし、
「相手にも正しいと信じる信念がある」ことを忘れないことが重要。

仏教的に言えば、
「自分の信念も空である」と知ること、
つまり、
お互いの育った環境や教育。
思い込み、バイアスである。
であることを理解する。
そうすれば、
信念は柔軟さと調和を生む。

💡 言い換えれば

信念は剣ではなく、羅針盤であれ。
つまり、
人を傷つける武器ではなく、
人生を導く道しるべであってほしい、
ということです。

タイトルとURLをコピーしました