「この世界の誰一人、見たことがないものがある。それは優しくて、とても甘い。
多分、見ることができたなら、誰もがそれを欲しがるはずだ。
だからこそ、世界はそれを隠したのだ。そう簡単に手に入れられないように。
だけどいつかは、誰かが見つける。そういうふうにできている。」
― 逢坂大河(『とらドラ!』)
🧘♂️仏教的視点からの解説とアドバイス:
この言葉は、誰もが求めながら、なかなか出会えない“本当の幸せ”や“真実の愛”の存在を語っています。
それはまさに、仏教で説かれる「悟り(さとり)=涅槃(ねはん)」の比喩とも言えるでしょう。
仏教では、「真実は誰の中にもあるが、煩悩に覆われて見えなくなっている」と説きます。
その“見たことのないもの”とは、**本来の自分の心、仏性(ぶっしょう)**なのかもしれません。
それは「優しくて、とても甘い」――
すなわち、無条件の慈悲・安心・心の平和です。
そして、世界がそれを「隠した」のではなく、
私たち自身が、“欲望”や“比較”や“恐れ”によって、その存在を見失っている――
それが仏教の見立てです。
けれども仏教は、こうも説きます:
必ず誰かが、それを見つける。
それは釈迦が歩んだ道であり、そして私たち一人ひとりも“見つける力”をすでに持っているのです。
🪷仏教的アドバイス:
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“まだ見ぬ何か”を求める心を、内なる探求に変えよう
それは外の世界にあるのではなく、あなた自身の心の奥底に眠っています。
「探す」のではなく、「気づく」こと――それが仏教の修行です。 -
本当に欲しいものほど、簡単には手に入らない
それは“修行の価値”があるから。
だからこそ、心を磨き、執着を手放し、“気づける自分”になることが大切です。 -
“見る”とは、目で見ることではなく、心で観ること
仏教の「観(かん)」とは、心の眼で物事の本質を見抜くことです。
あなたがその“優しくて甘いもの”を見つける力を持っていると信じてください。