「独裁者を支持するのも民衆なら、反抗して自由と解放を求めるのも民衆です。 民衆の多数が民主主義ではなく独裁を望んだとしたら、そのパラドックスをどう整合させるのか」 ── 銀河英雄伝説・ワルター・フォン・シェーンコップ

言葉のご縁

🧘‍♂️名言

「独裁者を支持するのも民衆なら、反抗して自由と解放を求めるのも民衆です。
民衆の多数が民主主義ではなく独裁を望んだとしたら、そのパラドックスをどう整合させるのか」

── 銀河英雄伝説・ワルター・フォン・シェーンコップ


🔍仏教的視点からの解説

この名言が問いかけているのは、
**「民衆は本当に目覚めているのか?」「集団の選択は真実か?」**というジレンマです。
仏教では、これを「無明(むみょう)=真理に気づかぬ心」と見ます。

🔸仏教は民主主義でも独裁でもなく「自覚」を重んじる

仏教において、最も大切なのは「制度」ではなく「心の目覚め=正見」です。
民衆が独裁を選ぶのは、
・恐れ
・欲望
・煽動されやすさ
という「煩悩(ぼんのう)と無明」に支配されている状態である可能性があります。

つまり、制度そのものよりも、
その制度を支える人々の心が目覚めているかどうかが問われているのです。


🌱仏教からのアドバイス:「パラドックス」を超えるには

✅ 多数決=正義ではない

仏教では、「数が多いから正しい」とは教えません。
むしろ、「多数の迷い」より「一人の正見(正しく見る智慧)」を重視します。

民衆が独裁を望んだとしても、それが「目覚めた心」から出た選択でなければ、
やがてその制度は苦しみを生み出し、因果の法則によって崩壊します

✅ 正見の育成こそが、社会の本当の安定

だからこそ、仏教は「布施」や「愛語」などを通じて、
人々の中に智慧と慈悲を育てること=仏教的民主主義の根本を重視します。

🔚まとめのひと言

民衆が選ぶものが、いつも正しいとは限らない。
それが“無明のままの選択”であるなら──

仏教が説くのは、制度の正しさではなく、
**それを支える人々の「心の目覚め」**の大切さです。

自由を本当に手に入れるには、まず心が自由でなければならない。
その自由な心とは、煩悩や恐れからではなく、智慧と慈悲から動く心です。

この問いの整合性は、
「民意」ではなく「目覚め」によってのみ、解決されるのです。

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