人は幸せになる権利も、不幸になる自由もある
「幸福になる権利」と「ダメになる自由」は、
仏教でいうところの「因果応報」や「自業自得」、
そして、
「自由意志と縁起の調和」
というテーマに深く通じます。
「人は皆、仏になれる“種”を持っている。
けれどその種を咲かせるも、枯らすも、自らの行いと心次第。
悟りも迷いも、自ら選ぶもの。」
仏教では、
誰しもが「仏性」と呼ばれる、
仏になれる本質を持っていると説かれます。
しかし、
それを開花させるか否かは、
自分の生き方次第。
幸福になりたいと思いながらも、
怠け・欲・怒り・執着に流されることで、
逆の道を選んでしまうこともまた、
人間らしさ。
仏教はそれすら否定せず、
「そこからまたやり直せばいい」
と説いています。
仏教では
1. 幸福は「もらうもの」ではなく「育てるもの」
他人や環境によって与えられるものではなく、
日々の行い(業)と心の持ち方が積み重なって、
幸・不幸が現れます。
2. 「ダメになる自由」とは、“学び直す機会”
たとえ一度堕ちても、それは終わりではありません。
仏教では「一度の過ちは、永遠の過ちではない」と説き、
何度でも立ち上がる“気づき”を大切にします。
3. 選ぶのは、常に「今ここ」のあなた
過去の選択で後悔があっても、
仏教は「今」の行いに価値を置きます。
今からでも、“良き道”を選ぶことは可能です。