「どっちも、自分が正しいと思ってるよ。戦争なんてそんなもんだよ」
仏教は、
この現実をとても静かに見つめます。
「人は、正しさに執着したとき、争いが始まる」
自分の意見。
自分の常識。
自分の正義。
それが正しいと“信じて疑わない心”が、
他者の正義を否定し、戦いを生む。
仏教では、これを「我執(がしゅう)」といいます。
自分の“正しさ”に固執すること。
実は、どちらも「間違っている」のではありません。
どちらも「自分こそが正しい」と信じているだけです。
だから仏教は、
どちらかを責めるのではなく、
その“執着”に気づきなさいと説きます。
中道(ちゅうどう)
極端に偏らない心。
それこそが、
争いの外に出る手段。
平和を望むなら、
「正しさへのこだわり」を、
自分の中から静かに手放してみること。
正しさよりも、穏やかさを。
勝つことより、許すことを。
それが、仏教が語る“平和の始まり”です。
争いの根は、“正しさ”にある。