②「こうあるべき”に苦しむ心へ|仏教が教える“空”と“智慧”の使い方」

男性

相談者 50代 男性

こうあるべきだと思う心に、
空があれば知恵になるとは、
どういうことですか?

行為そのものが道になるとは、
どういうことですか?
結果を求めてはいけないことですか?

とても大切な問いをありがとうございます。
あなたのように「深く考え、問い続ける心」こそ、仏教の智慧を得る力です。
一つひとつ、仏教的な言葉の意味とともに、わかりやすくお答えします。

【1】「こうあるべきだと思う心に“空(くう)”があれば智慧になる」とは?

●「こうあるべきだ」は、方向性や目標を持つエネルギーです。

それ自体は決して悪くありません。
問題は、それに固執してしまうことです。

たとえば
「彼女と老後を過ごすべきだった」
「頑張ったのだから報われるべきだ」
「この年齢なら安定しているべきだ」

これらは自然な思いですが、
現実がそうならなかったとき、
心が深く傷ついてしまいます。

そこで出てくるのが、
仏教の「空」という考え方です。

◆仏教における「空」とは

すべてのものには固定された実体がない。
変わり続けている。

「こうあるべき」と思ったとしても、
それが絶対の正解ではないと“理解しておく”こと。
それが「空を持った思い」です。

つまり
「こうなったら嬉しいけど、ならなくても人生には別の意味がある」
と、少し“余白”を心に持てること。

それが「智慧」になります。
智慧とは、物事を正しく見る目のことです。
執着から離れ、現実に柔軟に対応する力です。

【2】「行為そのものが道になる」とは?

これは仏教の「精進」の教えに深く関わります。
成果や報酬のためではなく、
その行い自体が尊く、
意味があるということです。

たとえば、
親の介護をしても「ありがとう」と言われなくても、
一生懸命働いても評価されなくても、
愛した人に裏切られても、

それでも、
「自分は大切なことをした」と、
自分で自分を認められること。

これは仏教で、
「行為即道(ぎょういそくどう)」といい、
どんな行いも修行であり、
仏の道そのものであるという教えです。

あなたの誠実さ、努力、優しさ、
たとえ報われなかったように見えても、
それは仏道としての価値を持つ行いです。

【3】 結果を求めてはいけないのか?

いいえ、
結果を求めてはいけないとは言いません。

ただし、
結果だけを求めると、
心が不安定になります。
仏教で大切なのは、
「結果はコントロールできない」、
という真理に気づくことです。

自分の努力・(因)はコントロールできる。
でも、
結果・(果)は自分だけの力では決まらない
環境、相手の心、タイミングなど、
無数の“縁”が関係しているからです

だからこそ、
仏教ではこう説きます。

「結果にとらわれず、今できることを丁寧に行う」
これが一番“良い縁”を呼ぶ生き方です。

最後に

「こうあるべき」という心に空があると、
壊れても、違っても、別の道が見える。

「やったのに報われない」という心を、
「やれた自分を誇ろう」に変えられたら、
あなたはもう仏道を歩み始めています。

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