「どうせ無理」という心の声は“煩悩”のひとつ

言葉のご縁

ある日、スーツを着た男性が街を歩いていると、
道端におじさんが座っていました。
服はボロボロで紙コップを持って
スーツの男へ話しかけていた。

「すみません、100円でいいので恵んでもらえませんか?」
男性は財布から1万円を出したが、すぐに戻して
ポケットから100円を出して渡したんだ
「確か、100円って言ったよね」
その男は続けて言った。

「人ってさ、自分が望んだ分しかう受け取れないんだよ」
と言いながら100円を渡した

結局は本気で望んでいない。
これぐらいでいいやと自分が決めたもの。

100円といえば100円しか来ない。
だったら最初から1万円を望めばいいじゃん。

1億円だって望むのはただなんだから、
さすがにそれは無理って思った時点で、
もうそれは望んでいないってことだ。

人生ってさ、自分の望みのサイズで決まるんだよ。
だったらさ、遠慮なんかせずに本気で、
でかく望んでいこうよ

この物語は、実に深い教訓を含んでいます。
そして、**仏教の教えとも非常に相性の良い“心の気づき”**を語っています。


🧘‍♂️仏教的視点からの解説

🌱1. 「人は、自分が望んだ分しか受け取れない」

仏教では「心がすべてを作り出す(心が先、心が主)」という教えがあります。

📖『法句経』より:
「心がすべてを導く。もし心が清らかであれば、幸せがその人につき従う」

この教えはつまり――
**「現実は心の器で決まる」**ということ。

100円しか受け取ろうとしなかったのは、心が100円分しか開いていなかったということ。
望みが小さいのではなく、“自分にはその程度しかふさわしくない”と制限をかけている心こそが問題なのです。


🌱2. 「遠慮なく、でかく望んでいこう」

仏教では「願(がん)=祈り・誓い」という言葉があります。
それは、**“自分を超えて生きようとする誓い”**です。

小さな器に水を注ぐとすぐに満ちる。
大きな器に注げば、多くのものが受け取れる。

つまり――

“本気で願えば、心は広がり、現実も変わり始める”


💡 仏教的アドバイス

  1. 望みのサイズ=心の制限を超える修行

  2. 「どうせ無理」という心の声は“煩悩”のひとつ

  3. “足るを知る”と“夢を抱く”は矛盾しない。どちらも智慧

大きく望んで、小さな一歩を積み重ねる。
それが仏道であり、悟りへの道。

🧘‍♀️締めのことば

願いを持つことは、未来の可能性を信じること。
仏教は言います――
「心がすべてをつくる」
小さく望めば、小さな人生に。
大きく望めば、道が開ける。

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