「やなせさんはずーっと順調にきていて、一度も挫折したことがありませんね」と言われることがある。とんでもない。挫折というのは途中で駄目になることだが、ぼくは四十歳を越えてもまだ五里霧中で、挫折どころか、出発していなかった。
やなせたかし
「遅咲き」「迷い」「出発の遅れ」を受け入れながらもなお、“生きて歩むことの意味”を肯定した、非常に深く仏教的な名言です。
🧘♂️仏教的視点からの解説
🌿「挫折ではなく、出発していなかった」=人生に“遅すぎる”はない
仏教には「発心(ほっしん)=仏の道を歩もうと決めた心」という言葉があります。
それは、何歳であっても、どれだけ迷ってきても、そこから“道を歩もう”と思えば、それが出発なのだという考え方。
四十歳を越えても「五里霧中」。
それは“迷い”ではなく、“出発のための準備期間”であり、仏教でいう「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」のプロセスなのです。
🌿「五里霧中」=無明(むみょう)と向き合う時間
仏教では、人は誰しも「無明(むみょう)=真理が見えない状態」の中で生きているとされます。
やなせたかし氏の「五里霧中」はまさにこの無明のたとえ。
でもそれを否定せず、「だからまだ出発してなかった」と受け止める姿勢こそ、智慧(般若)への第一歩です。
🌿「挫折とは、途中であきらめたこと」=継続こそが仏道
仏教の修行は、短期ではありません。
「生きている限り、日々が修行」「一歩でも前に進んでいれば、OK」
つまり、「出発していなかった」と言えるやなせ氏の言葉は、“今からでも歩める”という慈悲と励ましでもあるのです。
💡 仏教的アドバイス
人生の出発は、人と比べて早い遅いではなく、“心が動いた瞬間”に始まる。
五里霧中こそ、心が育っている大切な“内なる旅”の時間。
「まだ出発していない」と思える人は、実は“最も大切な地点”に立っている。
🧘♀️ 締めの言葉
出発とは、「人生を自分の足で歩もう」と心が決まったその瞬間。
遅くなんかない。迷った時間も、すべて“出発の準備”だったのです。