「悩むくらい可能性あるなら、奪いに行く。」
― 馬渕洸(『アオハライド』)
🧘♂️仏教的視点からの解説とアドバイス:
この言葉は、迷いと行動の狭間で揺れる心を突き動かす決意の言葉です。
仏教的に見ると、「悩む」ということは、すでに**“心が向いている”証拠**。
つまり、“迷い”があるということは、そこに**執着=渇愛(かつあい)**が生まれている状態です。
仏教ではこの「渇愛」こそが苦しみの根であり、
苦を断つには“手放す”ことを説きますが――
実はもう一つの道もあります。
それが「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」――
煩悩(悩み)を力に変えて、悟りへの道に昇華する智慧です。
洸の言葉は、まさにそれ。
悩むほど求めるなら、その想いを恐れず行動に変えよ。
という、仏教の「精進(しょうじん)=自ら進む心」の教えに重なります。
🪷仏教的アドバイス:
-
悩むということは、すでに“縁がある”証拠
悩んでいるということは、心がそこに向いている。
それを否定せず、その心をどう使うかが大切です。 -
動くことは“求めること”ではなく、“確かめること”
「奪う」という表現があるが、仏教的には「与え合える関係」を築くことが真のゴール。
“求める恋”から“与える愛”へ昇華させましょう。 -
迷ったら、一歩踏み出して“今”を生きる
仏教では「後悔は未来の苦しみ、迷いは現在の苦しみ」と説きます。
行動することでしか、迷いは終わらない。
その行動が智慧になるのです。