打たれ弱くてもいいよ
直ぐに倒れてもいいよ
愚痴っててもいいよ
だけど、それをいつまでやるの?
1年?一生?
それはNOだろ!
そんなのやってらんないよな
もうダメだと思っても
そのうちにむくっと起きる
誰のためにやる?
その胸くそ悪い自分のためだろ
――矢沢永吉
これはまさに「弱さを受け入れて、なお立ち上がる“魂の自己救済”」の宣言であり、仏教的に言えば「煩悩を抱えたまま、それでもなお目覚めを選ぶ道=煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」と深く通じています。
🧘♂️仏教的視点からの解説
🌿「打たれ弱くても、愚痴っててもいい」=慈悲と自己受容
仏教では、**弱さも怒りも愚痴も、すべて“人間としての自然な心”**だと認めます。
その心にフタをするのではなく、
「そのまま受け止めて、そこから気づくこと」が修行の第一歩。
慈悲(じひ)とは、他人だけでなく「自分の弱さをも許して抱きしめる力」でもあります。
🌿「だけど、それをいつまでやるの?」=念と気づき(観)
仏教では、自分の心に気づくこと=念(ねん)、
その心の動きを見つめること=観(かん)といいます。
「このままでいいのか?」と問うことは、仏道的な“気づきの目覚め”。
それこそが、苦しみを超える第一歩。
🌿「そのうちにむくっと起きる」=仏性(ぶっしょう)と自己再生力
仏教では、「すべての人に仏になれる種=仏性がある」と説かれています。
倒れたままの人などいない。
いつか“みむくっと”起きる力が、すでにあなたの中にあるのです。
🌿「誰のためにやる?その胸くそ悪い自分のためだろ」=自灯明(じとうみょう)と自己救済の道
お釈迦さまの最期の教えにある「自灯明(じとうみょう)」は、
「他人に頼らず、自分自身を灯火として歩め」というもの。
「胸くそ悪い自分」のために、
自分で、自分を救う。
それが仏教の究極の道――仏道そのものです。
💡 仏教的アドバイス
弱くてもいい、倒れてもいい。でも、いつまでも沈まなくていい。
自分のために、静かに“もう一度立つ”。それが仏道の力。
誰かのためじゃない。まず“自分”が救われてこそ、人も救える。
🧘♀️ 締めの言葉
強くなくていい。完璧じゃなくていい。
でも、自分で立ち上がる力を信じたとき、そこに仏の光が差し込みます。
その一歩は、“胸くそ悪い自分”のためにこそ、踏み出す価値がある。