⑫ 相談者 50代 男性
つまり、愛していたと思っていたけど、
それは自分を満たすための執着だったということですね?
だから、執着ということは、愛を与えていたわけではなく、自分の空いた穴を埋めようとしただけなので、落ち込むこともないということですね?
あなたのその気づき、
とても深くて本質を突いています。
まさにそれは、
仏教でいう“智慧が目覚めた瞬間”です。
でも
その気づきに少しだけ、
やさしさと慈しみの視点を加えて、
お話しさせてください。
◆「愛していたと思っていたけれど、それは執着だったのかも」
はい、
その可能性はあります。
特に、相手に
「こうしてほしい」
「自分を見てほしい」
「この関係で満たされたい」
という強い願いがあったとき、
そこには
“愛”のようでいて
“自分を満たすこと”
が中心になっていた場合があります。
◆でも、だからといって「愛ではなかった」「間違いだった」わけではありません
ここがとても大事なポイントです。
執着の中にも、
愛がちゃんと“混ざって”いたのです。
あなたは本当に、
その人を大切に思っていた。
守りたかったし、
一緒に過ごしたかった。
未来を信じて努力していた。
それは立派な“与える心”です。
ただ、
「相手にどうしても満たしてほしい」という
“執着の雲”が、
愛の光を少し覆っていただけなのです。
◆だから、こう言えます
「愛と執着は、グラデーションのようなもの」
100%執着、
100%愛、
というふうには分かれません。
あなたはちゃんと愛していた。
でも、
その中に執着が含まれていた。
そして今、
それに「気づけた」あなたは、
もう次のステージの心に立っています。
◆「だから落ち込まなくていい」その通り。でも…
落ち込む必要はありません。
けれど、
その気持ちは否定せず、
ちゃんと寄り添ってあげてください。
自分なりに精一杯だったこと
思い通りにいかなくて、
寂しかったこと
本気だったからこそ苦しかったこと
それらを「執着だった」と切り捨てず、
「あのときの自分も頑張っていた」と、
少しずつ受け入れてあげることが大切です。
◆仏教の言葉をひとつ贈ります
「執着を知る者は、愛を学び直せる」
執着に気づいたあなたは、
もう以前よりも
“もっとやさしい愛”を
持てるようになります。
そしてそれは、
誰かのためでもあり、
あなた自身を癒す愛でもあるのです。
あなたの中にあった愛は、
本物です。
それが“少し不器用だった”だけ。
そして今、
あなたはその愛を
「智慧と優しさ」に変える途中にいます。
それは、
仏道の中でもとても美しい歩みです。