気づいていますか?
「人生」とは、
残された“時間”のことです。
そしてこの時間は、
誰にとっても平等に、確実に、
「命」と一緒に少しずつ削られていきます。
でも私たちは、
まるで永遠に時間があるかのように、
なんとなく今日を過ごしてしまう。
スマホを見て、
やるべきことを後回しにして、
なんとなく1日が終わっていく。
その繰り返し…。
でも仏教ではこう教えます。
「無常迅速(むじょうじんそく)」
すべてのものは常ならず、
あっという間に移ろいゆく。
つまり、
「明日が来る保証など、誰にもない」ということ。
なのに私たちは、
・「いつかやろう」
・「もっと準備が整ったら…」
・「今は忙しいから…」
そんな理由を並べて、
やりたいことを後回しにする。
でも、
それはまるで、
種もまかずに「実がなる日」を待つようなもの。
人生という畑に、
あなたは何の種を蒔いていますか?
仏教の教えでは、
「因果の法則」という真理があります。
いま自分がしている行い(因)が、
未来の結果(果)をつくる。
つまり、
「今」が変われば、
「未来」は必ず変わるということ。
「未来が不安なんです」と言う人は多いけれど、
不安なのは、
今を生きていないから。
だからこそ仏教は言います。
「未だ生を知らず、焉(いずく)んぞ死を知らん」
(孔子の言葉だが、仏教でも重視される考え)
死を恐れる前に、
まず“生きる”ことに集中しなさい。
「本当に今日が最後の日だったら、誰に会いたいか?」
「どこへ行きたいか?」
「何を伝えたいか?」
その問いの答えこそが、
あなたが本当に大切にしているものです。
仏教では、“心”が世界をつくると教えます。
「一切は心に因(よ)る」
未来が明るくなるか、暗くなるか、
それは、
「あなたの心が何を選ぶか」にかかっている。
他人に気を使いすぎて、
どうでもいいケンカに怒って、
不摂生して病気になる。
それは、
「自分の命=時間」を軽く見ている証拠。
自分の命は尊いもの。
自分を大切にできなければ、
誰も大切にできない。
「失敗」が怖い?
仏教では、
失敗を否定しません。
「人生に無駄なことなど一つもない。
すべては、幸福、悟りに至るための“縁”となる」
だから、
うまくいかない日も、
それは、
仏の導きかもしれない。
遠回りに見えて、
実はそれが一番の近道だった、
なんてこともある。
人生は長さじゃなく、
質、深さ、納得感だ。
長生きしても、
やりたいことをやらなかったら、
それはただ年を重ねただけ。
でも挑戦した人は、
たとえ、
失敗しても「いい人生だった」と笑えるだろう。
だから言います。
過去を悔まず、未来を憂えず、
今に最善を尽くせば幸運を招く。
「今を生きよ」
「今を大切にせよ」
そして、忙しすぎるあなたへ。
忙しいという漢字は、
「心を亡くす」と書きます。
他人のためにばかり時間を使い、
自分の人生を忘れていませんか?
仏教では、
自利利他という考えがあります。
まず自分を満たしてこそ、
はじめて他人を助けられる。
つまり、
自分の時間を、
自分のために使うことは、
わがままではない。
むしろ、
尊い行いなんです。
・心から大切な人と過ごす
・意味のある仕事に集中する
・心と体を整える
・時に立ち止まり、静かに「自分と向き合う」
そうやって生きてこそ、
「いまこの瞬間」を生きているといえる。
だから最後に、
こう問いかけたい。
「いま、自分の人生を生きていますか?」
未来を明るくする方法は、
何か大きなことをすることじゃない。
ただ、
いまこの瞬間に、
命に向き合うこと、
時間に向き合うこと、
自分の心と向き合うこと。
命と時間の価値を知ること。
それが、
仏が説く命と時間と生きる智慧”です。
智慧とは、
物事をありのままに捉える心。
ものごとの本質を見抜く心の力。
真実をありのままに見る力
🙏最後に、
水道水が無限に出てくると勘違いするほど、
簡単に水道水は流れてくる。
しかし、
水道水が残り10リットルしかないと気付くと、
残りの水道水を大切によく考えて使うだろう。
なので、
明日が当たり前にあると思うものではない。
残りの人生を大切によく考えて時間を使いましょう。
今日から、残りの人生を始めよう。