「正しいことをする場合、必ず報いられるかというと、そんなことはなくて、逆に傷ついてしまうこともあるんです。傷つくかもしれないけれど、それでもやらなければいけないときがある。」
仏教における「無償の行い(無我の行)」「菩薩の精神」「忍辱(にんにく)の修行」など、深い慈悲と覚悟の実践と完全に一致しています。
🧘♂️仏教的視点での解説
🌿「正しいことをしても報われない」=因果は“すぐに”返るものではない
仏教では「因果応報(いんがおうほう)」を説きますが、それはすぐに善果が現れるとは限らないという前提を含みます。
正しいことをしても、
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理解されない
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非難される
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傷つけられる
というのは、現実でも仏教でもありうること。
それでも仏教は「正しい行い(正業)」を貫くことこそが、苦から離れる(心を仏に近づける道)と教えます。
🌿「傷つくかもしれないけれど、それでもやる」=忍辱(にんにく)と精進(しょうじん)
仏教には「六波羅蜜」という修行の道があります。
この言葉はその中の2つと重なります:
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忍辱波羅蜜(にんにくはらみつ):痛みや侮辱を耐えながらも、怨まず、怒らず、進む心。
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精進波羅蜜(しょうじんはらみつ):困難があっても、怠らず努力し続けること。
つまり、報われるかどうかではなく、“正しい”と信じることをやり通す覚悟こそが、仏教の“徳を積む生き方”なのです。
🌿 「それでもやらなければいけない」=利他のこころと誓願(せいがん)
やなせたかし氏が描いたアンパンマンも、何度顔をちぎられても「それでも助けに行く」。
これは仏教の**菩薩(ぼさつ)**の行いそのもの。
報われるからやるのではなく、誰かが困っているから、やる。
この「無償の行為」は、仏道の最高の精神です。
💡 仏教的アドバイス
報われるかどうかで行動を決めない。それが“仏道の勇気”。
他人に評価されなくても、あなたの行いは“あなたの中に”確かに積もる。
痛みを受け入れながらも前を向くこと。それは強さであり、慈悲です。
🧘♀️ 締めの言葉
正しいことをしても報われないとき、それでも行う心に仏は微笑む。
傷ついてもなお与え続ける人こそ、本当のヒーローであり、仏に近い存在です。