「人が天から心を授かっているのは、人を愛するためである。」
― 二コラ・ボアロー(フランスの詩人・批評家)
🧘♂️仏教的視点からの解説とアドバイス:
この名言は、「心の本来の役目は“愛すること”である」という、高く美しい思想を語っています。
仏教もまた、「人は慈しむためにこの世に生まれ、心は慈悲を育てるためにある」と説いています。
つまり、ボアローの言葉は、仏教でいう「慈悲(じひ)」の教えとまったく同じ根本を見ているのです。
🔍 仏教的に見た“心”と“愛”:
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「心」=仏教でいう“意(い)”:思考・感情・意志の中心
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「愛するため」=慈悲:慈(いつくしみ)=幸せを願い、悲(あわれみ)=苦しみを取り除こうとする
仏教では「心の本質は清らかで、誰かを愛する性質を持っている」と説きます(※阿頼耶識の清浄性など)。
しかし同時に、
心は欲や怒りに汚されやすく、だからこそ**「修行」によって“慈悲の心”を育てることが仏道そのもの**とされるのです。
愛と慈悲の違い
「愛」は、多くの人がポジティブな感情や状態を指すと解釈します。
しかし、仏教においては「愛」は煩悩の一つとされ、心の執着からくるものです。
一方で、「慈悲」は無償の愛、つまり何も求めずに他者を思いやる心を指します。
🪷 仏教的アドバイス:
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人を傷つけるのも心なら、人を救うのも心
だからこそ、仏教では「心を正しく使う智慧」が大切とされます。
→ それが「正思惟(しょうしゆい)」や「正念(しょうねん)」という教え。 -
心は“授かる”ものではなく、“育てる”もの
→ 初めに授かった心は、何によって育てるかで大きく変わります。
→ 仏教では「六波羅蜜」などを通じて心を育て、慈悲を実践できる器に変えていくのです。 -
愛するとは、見返りを求めない行動
→ 仏教においての「愛」は、欲望に基づいた「渇愛」ではなく、無償の慈悲です。
→ 誰かの幸せを願い、寄り添うことが“仏心”への第一歩です。