「やれなかった やらなかった どっちかな」
あいだみつを
たった11文字の中に、**仏教的な「因果」「責任」「気づき」「自省」**が凝縮された、非常に深い問いです。
🧘♂️仏教的視点からの解説
🌿「やれなかった」=外的要因に原因を求める心
「やれなかった」は、
-
時間がなかった
–環境が悪かった
–誰かが邪魔した
といった、“外側のせい”にする言葉。
仏教ではこれを「無明(むみょう)=真理に気づかない状態」と捉えます。
🌿「やらなかった」=自分の内面を見つめる問い
「やらなかった」は、
-
面倒だった
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怖かった
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優先しなかった
といった、“自分の選択”を認める言葉。
これは仏教的に言えば、「因を自ら作った自覚=気づきの始まり」です。
仏教では、「苦は外にあるのではなく、自分の“選び方”にある」と教えます。
だから「どっちかな?」と問えることが、**すでに“目覚めの第一歩”**なのです。
🌿問い続ける姿勢=修行
この詩は、明確な答えを出すのが目的ではなく、
「自分はどう生きているか?」を見つめ直すきっかけをくれます。
仏教ではこれを「観(かん)=自分の心を観察する修行」と呼び、
悟りに至るもっとも大切な道のひとつです。
💡 仏教的アドバイス
「やれなかった」と感じたときこそ、「やらなかった自分」がいないか見つめてみよう。
結果ではなく、“どう選んだか”に目を向けるのが仏道の視点。
問いを持ち続けること自体が、修行であり、成長です。
🧘♀️ 締めの言葉
言い訳にするのも、気づきに変えるのも、自分次第。
「どっちかな?」と問い続けるその姿勢が、仏の心に一歩近づく修行なのです。