「ひとりの貴族が死んで一万人の平民が救われるなら、それが予にとっての正義というものだ。 餓死するのが嫌なら働け。平民たちは五百年間そうしてきたのだからな。」 ── 銀河英雄伝説・ラインハルト・フォン・ローエングラム

言葉のご縁

🧘‍♂️名言

「ひとりの貴族が死んで一万人の平民が救われるなら、それが予にとっての正義というものだ。
餓死するのが嫌なら働け。平民たちは五百年間そうしてきたのだからな。」
── 銀河英雄伝説・ラインハルト・フォン・ローエングラム


🔍仏教的視点での解説

この言葉には、「大義のために個を犠牲にする考え方」と、「自己責任を厳しく求める思想」が込められています。
一見、強い正義感と合理性のように聞こえますが、仏教はこの種の思考に対して極めて慎重です。

🔸仏教が大切にするのは「命の平等」

仏教は、すべての命に仏性(ぶっしょう)が宿ると説きます。
それは、貴族であろうと平民であろうと、一命は一命であり、重さに上下はないという教えです。

つまり「1人の死で1万人が救われる」という論理は、仏教から見れば「方便(ごまかし)に近い正義」であり、
慈悲に基づかない正義は**片側だけの見方(邪見)**であるとされます。


🌱仏教からのアドバイス:「正義」と「慈悲」のバランスを保つには

✅ 「正義」と「慈悲」をセットで考える

仏教では、力ある者こそ「四摂法(ししょうぼう)=布施・愛語・利行・同事」に基づき、
他者を導き支える責任があります。

「働け」と命じるよりも、「働ける環境を整える」ことが真のリーダーの務めです。
命を救うために他の命を犠牲にするのではなく、ともに生き抜く道を探す心が、仏教の理想です。

🔚まとめの一言

誰かの犠牲によって成り立つ正義は、
必ず誰かの涙の上に築かれている。

仏教が目指すのは、勝者と敗者を分ける正義ではなく、
すべての命が平等に扱われ、互いに支え合う「和」の世界です。

ラインハルトの言葉が放つ鋭さは、時に真理を突くように見えて、
その背後に苦しむ者の声や沈黙があることを忘れてはなりません。

正義より深いもの──それが、仏教が説く“慈悲”の心です。

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